2019年11月07日

素晴らしき邦題の世界・6


ラグビーロス、今のオレは抜け殻である。ラグビーワールドカップが終わることにここまで寂寥感を覚えるなんて、、そんな心にぽっかり空いた穴を埋めようと久しぶりに映画館まで足を運んできたよ。
世界で自分しかビートルズを知らないことになっているという話題の映画「イエスタディ」を観てきた。漫画でも似たようなのがあったね、「僕はビートルズ」だったかな。ビートルズ好きの誰もが一度は夢想するだろうテーマだけど、いざ現実に作品化しようと思うとこれはかなり大変なことだろうね。生半可な愛情や勇気ではこんな作品は作れない。はっきりいって面白かったけど、うがった見方をすればビートルズを利用した単なるラブコメであるとも言えるわけで理屈っぽい人には受けなさそうな気もするな。まあしかし人気者エドシーランも本人役で登場するので彼の若いファンにもぜひ観てもらいたい。

で邦題の話しになるんだけどここはやはり流れでビートルズについてふれておきたい。初期は名邦題ともいえる「抱きしめたい」がやはり出色である。それから「恋におちたら」「今日の誓い」さらにさらに「涙の乗車券」「恋を抱きしめよう」「ひとりぼっちのあいつ」などなど多くはないが印象的な邦題が頭に浮かんでくる。しかし66年のアルバム「リボルバー」から一切邦題がなくなってしまうのである。原題はどんどん複雑になっていったりしてるにもかかわらずだ。例外的に「ジョンとヨーコのバラード」と「愛こそはすべて」があるがこれはどちらも当時シングル盤で発売されたものだ。
ではなぜビートルズのアルバムから邦題が消えていってしまったのだろう。理由はマニアには有名だったり常識的なことなのかもしれないけど、オレは読んだり聞いたりしたことがないのであくまでも自力で推測してみよう。

ビートルズはかなり早い段階で自分たちでアルバムの曲順を決めたりコンセプト的なものをはっきりと意識していた。しかし当時の慣例としてそれが反映されたのは本国イギリスのみであり、アメリカや日本をはじめいろんな国で曲は都合よくばらばらにされ適当にアルバムが作られていた。適当というのは言い過ぎかも知れないが例えばアメリカ、キャピトルが出したアルバムのつぎはぎ感は半端なかった。そしてタイトルも世界中でその国の言葉で(それこそ日本のように)勝手につけられたりしていたのだろうと思われる。
それをビートルズは忸怩(じくじ)たる思いで眺めていたのだろう。人気と実力をつけることによって彼らはより理想に近づこうとした。
その結果が66年以降のライブ活動停止であり67年全世界同内容の傑作アルバム「サージェントペパーズ、、」の発売へとつながっていくわけで、そんなさなかのどっかの時点でタイトルは基本原題で表記するように契約させたんじゃないのだろうかとオレは考えている。それであってるかビートルズに詳しい人教えてください。

ん〜、なんかえらい長いブログになってしまった。すみません。次は映画「ジョーカー」を観に行きたいなあ、それじゃあまた。
posted by オーナーセイジ at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記