2019年04月26日

小休止: 平成の果てに


もういくつ寝ると令和という時代がやってくる。今オレは平成という時代の果てにいて少しばかりいろんなことをかみしめている。とりあえずなんとかここまで凌いで生きてきたよな、みんな。すごくたいへんな時代だったけど、なんとかここまでやってきた。そしてまだこれからも続いていくのだろう、多分。昭和の途中から人生を始めたオレは平成という時代を抜けて令和という今はまだおぼろげな霧のような中を歩き始めるわけだ。けれどオレもあなたもひとりじゃないさ。心配はいらない、ハッピーにいこう。

オレが生まれてこの方影響を受け続けている曲ってなんだろうって考えたとき答えはもうこの曲しかなかった。べただけどジョン・レノンの「イマジン」。天国も地獄もなく宗教も国境もない世界を想像してごらん、みんなは僕を夢想家というけどそれは僕ひとりじゃない、いつかみんなでひとつになろう、、というような歌詞なんだけど、普段歌詞とかあまり重要視しないオレにとってもこの曲がもつある種強烈なオプティミズムに溢れた思想にいつも立ち返らざるを得ない。現実を見つめれば見つめるほど、それと相反するように浮世離れしたこの歌の世界がオレの前に何十年も立ちはだかっているわけである。
ネットではビートルズとかいう4人でさえ仲良くできなかったくせに平和を語るなよっていう辛辣な意見も見かけたりするけども、それぐらい人間のエゴを抑えるのは難しいとも言えるわけで、またなかなか人間というものは進化しないものだなあとぼんやり考えるのだ。平成の果てに。

ところでみんなは先人たちをうやまっているだろうか。あえて今風に言おう。Youリスペクトしてるのかい?ってことだYO〜。もちろんオレは日本人として先人たちをすご〜くうやまっているわけだけど、洋楽かぶれの身としては外国人にも敬意を抱かざるを得ない。とくに「愛」という単語をよくぞ「ラヴ」ってしてくれたよな。さかのぼればラテン語が〜とかギリシャ語が〜とかなるのかもしれないが、ともかく2つの音でこれ以上素敵な響きは作れないのではないだろうか、「ラヴ」。
もしこれが例えば「モベ」にしようぜとかなってたら、エルビスのあのバラードは「モベミーテンダー」だしビートルズのデビュー曲も「モベミードゥ」になってしまう。ドリカム(本当はダニーハサウェイって書きたいけどさ。。)のあの曲は「モベ・モベ・モベ」になってしまうしジョンレノンのあのシンプルな名曲もただの「モベ」になってしまう。こういうことだぞ?つまり先人たちが「ラヴ」って単語を生み出してくれたからこそオレは沢山の名曲に出会うことができた。これを感謝せずにおれようかってことなのだ。生きていると何もかもに感謝感謝なわけだけど、多分それはすごくいいことのように思える今日この頃、平成の果てであるのだった。みなさん、いいゴールデンウィークを!
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2019年04月16日

素晴らしき邦題の世界・2


ハローみなさんお元気ですか?今回も興味ない人にはまったくつまんない話題だと思うけど、がんばって読んでみてくださいね。
前回取り上げた曲が「Just when I need you most」で邦題が「アメリカン・モーニング」。今回は英語的には似た響きな「Just what I needed」、これまた失恋ソングではあるんだけど曲調からなんからまったく違っててついた邦題は「燃える欲望」。78年のザ・カーズのデビュー曲(多分そうだと思う)で当時のチャートアクションはまずまず。オレは当時からこの歌が好きだし、後に売れっ子になるザ・カーズの曲の中でも今もこれが一番好きだ。
 とまあそれはいいとして、いまいちど「Just what I needed」というタイトルをふりかえるが、なんというか日本人には全然ピンとこない上に覚えづらいそんな感じがしないだろうか。それにくらべて「燃える欲望」、、なんとスムーズに心に入ってくることか。そういう意味でこれは素晴らしい邦題と言わざるをえない。パンクムーブメントが過ぎ去ってニューウェイヴの時代にアメリカから登場してきたザ・カーズ。小気味いいビートとひねくれたポップ感覚。ほとんど同じ時期にデビューしたディーヴォをもっとわかりやすくしたような音楽性とも言える。今の若い子たちにも受けそうなんだけどなあ、どうなんだろう。

そのザ・カーズの中心人物だったリック・オケイセックとベンジャミン・オール。ベンジャミンのほうはずいぶん前に亡くなってしまったがリックのほうはプロデューサーとして現代アメリカンロックに多大なる影響を与え続けている。ウィーザーのブルーやグリーンは彼のプロデュースだし、意外なところではバッド・ブレインズの「ロック・フォー・ライト」も手掛けていたりするのだ。これを聞いて俄然興味をもつ人もいたりするかもね。若者よ、お宝は山のようにあるぞ〜!

もうすぐ10連休だかなんだかとんでもないゴールデンウィークがやってくる。お客さんが来るかどうか本当に心配。どこにもいかないって人いたらせめて飲みにきてください。お願いします。ではまた。
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2019年04月07日

素晴らしき邦題の世界・1


平成も終わろうかというこの時期に古い話しで恐縮してしまうのだが、昔は洋楽の世界では日本独自のいわゆる邦題というものが当たり前のようにつけられていた。邦題がはまったおかげで大ヒットしたものもあれば、逆にアーティストに変なイメージがついてしまったものもある。大抵の物事にはいい面もあれば悪い面もあるわけで、邦題の世界ではそれが顕著である。だから悲しく面白い。そしていまも胸をくすぐる何かがある。

オレ、もしくはオレたちは今でもキングクリムゾンのファーストは「宮殿」と呼ぶし、ピンクフロイドのあれは「狂気」だったり「おせっかい」だったり「炎」だったりする。そして同年代ぐらいのロックファンだったらそれでほとんど話しが通じてしまう。「狂気」の話しをするときにわざわざ原題の「ダークサイドオブザムーン」がさあ、なんて話そうものなら「は?なにかっこつけてるわけ?」とかディスられそうですらある。

こうやって邦題はオレたちの感性の奥の深い深いところに浸み込んでしまっているのだ。だけども中にはそれはちょっとあんまりなんじゃないの?と時空を超えてつっこみたくなるものもあるわけで、今回はそんな例のひとつとしてランディ・ヴァンウォーマーの79年のヒット曲「Just when I need you most」をとりあげたい。歌の内容はその原題からも読み取れるように、自分が一番必要としているときに君は去ってしまったという悲しみtoo much な作品なのだが、それにどういう邦題がついたのかというとなんと「アメリカン・モーニング」、、、おい、そりゃあんまりじゃ〜ないか。当時アメリカンコーヒーがブームだったし歌の出だしでモーニングいってるしもうこれでいきましょうと当時のCBSソニーの担当者は考えたに違いない。そして確かにそれがはまって日本でも大ヒットしたわけだが、おかげでランディはああアメリカン・モーニングの人ねって感じの一発屋のイメージがもろについてしまった。長い目でみると果たしてこれでよかったのかと今でも考えざるをえない。この歌のもつ繊細さや情緒みたいなものはとりあえず粉砕されてるといっていいだろう。なんならオレもこの邦題のせいでランディの良さに気づくのに時間がかかってしまった。気づいたときには彼は48歳の若さで白血病で亡くなっていた。悲しい。
ただその反面「アメリカン・モーニング」というキャッチーな邦題がついてなかったらこれほど日本の人々の記憶には残らなかったかもしれない。そうしたいろんなことを想起してしまうところに邦題の世界の素晴らしさがあるとオレは考える。

時は流れて94年。ランディが亡くなる少し前日本ではビクターから「The third child」という新作が出ることになった。邦題はなんと「モーニング・ブリーズ」、、、うはっ、けっきょくそれかよ〜〜

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2019年04月04日

久しぶりに書いてみよう

とりあえず今回は動画は貼らないね。オレの近況はというと今年花粉症になってしまったことはまず記しておきたい。なんとなく頭の中で想像してたのより50倍ぐらいつらいぞ、なんだこれ。体がすっかりどうしようもないほどアレルギー体質になってしまった。タバコやめて4年目だけど、吸ってたときのほうが調子よかったような気もする。が多分気のせいなんだろうね。

元号が令和に決まった。オレは「建和(けんわ・けんな)」になると予想していて周りに言いまくっていた。外れたけど一文字当たった。惜しい。それにしても令和っていいね。時間がたつほどにどんどんよく思えてくる。シンプルで凛とした透明感さえ感じてしまうよ。昔のブログでも書いたけど、良くも悪くもへーせーというのっぺりした響きがそっくりそのまま現代日本の姿を表していたと思う。令和で気分も新たに素晴らしい日本になるようにがんばっていこうじゃないか。

これだけ久しぶりに書くのにたいして書くべきことも書きたいこともないんだよ。ちょっとしたスランプだね。リハビリ的にぼちぼちまた書いていこうと思っているのでよろしくであります。
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2019年01月11日

うかうかしてたらもう11日、あけましておめでとう


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。休みなく働いていたらあっという間に11日。新年一発目のナンバーは何にしようか悩んだけど、やっぱこれだな。イギーポップがあ〜つまんねえ、あ〜まじつまんねえというだけのナンバー。イギーはじじいになってもイギーで、じじいになってもかっこいい。オレもこんなじじいになれたらいいのに。そして若者をぎろりとにらんで、なあ小僧毎日つまんないよな、とか言ってみたり。さすがにそこまではないにしても無理に若者と話しを合わせたりするのだけはやめとこうと思う今日この頃なわけです。

昔ドラえもんの道具に石ころ帽というのがあって、その帽子はかぶると道端に落ちてる石ころと同じように誰からも認識されなくなるという機能を有していた。オレが思うに年をとると人間は石ころ帽化していく。誰が今日すれちがったおじいさん、おばあさんを覚えてる?そうだろ。そしてオレにも間違いなく石ころ帽化の波は来ている。自分でいうのもなんだけど、昔はすれちがいざまに女性とちらっちらっと視線が交差したものだった。いや半分は勘違いであったとしてもだ。それがいまやどうだろう。誰とも視線を交わすことなくオレはアーケードを突き抜けることができそうなぐらい石ころだ。ひょっとしたら長崎縦断できるほどの石ころかもしれない。いやこのまま石ころ帽化が進むとあと10年ほどで間違いなくそれが達成できるだろう。しかしだ、みんな石ころ帽化を恐れてはいけない。己という欲望、プライド、とりつくろった外見、そういったいろいろな呪縛から解き放たれよう。真の自由を勝ち取ろう。石ころ万歳、石ころ万歳、石ころ万歳。

もう自分で何を書いてるのかわからなくなってきた。ごめん。今年もこんな感じだと思う。よろしく。
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2018年12月28日

今年もお世話になりました、つか早すぎるよね、、、


今年をあらためて振り返ってみる。もういろいろ忘れすぎだし月日の流れは無情で非情な早さでもって過ぎていってしまいオレを困惑させる。オレ個人の成長、変化はほぼゼロだ。年とっていった分マイナス成長といってもいいかもしれない。情けないことだ。キルケゴールじゃないけれど「死に至る病」を誰もがかかえフェイクとリアルのはざまでもがきながら消耗させられつづけている。いやその書き方は受け身にすぎるだろうか。個人の気の持ちようは本当に大事だからね。来年はもっとシンプルに気持ちがいい生き方を積極的に心掛けたい。

音楽界のことにふれるとまずリックホールが死んだ。アラバマ州のマッスルショールズという片田舎にフェイムスタジオを作り最高のソウルミュージックを送り続けた偉大な男だ。例えば映像でつけている曲はリックホールのプロデュースである。愛した女がほかの男といるのを見るぐらいなら目が見えなくなってしまいたいという現代なら差別だなんだかんだといちゃもんつけられそうな曲である。それを当時エッタジェイムスのほかにも実際に盲目のクラレンスカーターなども歌ってたのが興味深い。まあこのへんの話しはまたの機会にしようか。
ほか最高のブルースマンのひとりオーティスラッシュ、孤高のジャズピアニストセシルテイラー、スワンプロックといえばこの人トニージョーホワイト、もちろんアレサ、ドロレス、フランスギャルなどの女性シンガー、つい最近バズコックスのピートシェリーも死んでしまったらしい。みんな最高の音楽を今までどうもどうもどうもありがとう。

書き出したらいろいろ書きたいことが溜まっていたんだなと気づいてしまった。個人的にはツイッターもインスタもいまいちなんだよな、、かといってブログをマメに更新するのもつらすぎる。とにもかくにもオレもみなさんもこの一年お疲れ様。今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。あ、最後に今年出会ったアニメの中で最高の一品はヒナまつり、これには何度も何度も笑わされた。じゃあみなさんよいお年を〜
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2018年11月20日

今話題のあのバンドのこと


クイーンの代表曲にしてただいま上映中の映画のタイトルにもなっている「ボヘミアンラプソディー」が収録されているアルバム『オペラ座の夜』が発売されたのが1975年の11月21日ということで、明日でなんと43年が過ぎたことになる。
そこから遡ること8ヵ月、1975年3月に発売されたのが10CCというバンドの名盤『オリジナルサウンドトラック』でその冒頭のナンバーが、動画を貼り付けている「パリの一夜」という8分を超す大作ナンバーだ。昔から「ボヘミアン〜」はこのナンバーを参考にしたのではないかと言われていた。確かにそれは間違いないところではあるだろうし、クイーンのメンバーがあたためたアイデアの背中を押してもくれただろう。この2曲だけを取り上げてみるとすごく風変りで異色の作品という感じがする。

しかし英国のロックをいろいろ聴いていくとすでに60年代終わりぐらいにはザ・フーやキンクスがロックオペラに取り組み始めていたし、70年代前半のグラムロックやハードロックの時代にさえそういったロックとクラシックの融合はさんざん試みられていたことがわかってくる。つまりその2曲が時代の中でぽっかり浮いてしまうほどには特異なものではなく、むしろ英国人が長年培ってきたセンスそのものが端的に表現されているといった感じなんだよな、どちらかというと。だがそれにしても「ボヘミアンラプソディー」の破壊力よ。21世紀の今現在聴いてもあきらかに名曲だもんな、、

オレはいろんな人からその映画見ないの?と聞かれるわけだけど、狭量な音楽原理主義者であるオレは「じゃあさ、ビートルズのそっくりさんが演じているレットイットビーをお前は見たいわけ?」とかいう屁理屈を唱えながら日々やり過ごしているわけである。みんなが面白かったといえばいうほど、どんどん見る気を無くしていくオレ。ブームが過ぎて誰も語らなくなったころひっそり見ようかなと思っている。

今回は笑いなしで久々ブログ更新してみたけどみなさんごきげんよう。ちなみにオレが一番好きなクイーンのアルバムは『ジャズ』ね。


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2018年09月20日

Shall we dance?的な


どこまで書いていいものか悩むところだが、オレはその夜のことを思い出すと恥ずかしくなってひとりで引きこもりたくなってしまうのだ。これからそのことをぼかしを入れつつ書いてみよう。
ある平日の暇な夜、よく見知った二人の若い女性が店に飲みに来た。最初は笑って飲んで楽しかったのだけど、途中から雲行きが変わってきた。突然片方の女性が泣きはじめた。母親との関係がうまくいってないとかそのような悩みを抱えているらしかった。ほかのお客さんがいなかったこともあって、オレも泣きたいだけ泣けばいいさというような心持ちであった。嗚咽の波が何度も彼女を襲う。そしてようやく落ち着いたころ友達の女性は帰っていってしまった。
オレとその子と二人きりになってしまった。もう一回ぐらい涙の波が来るかもしれんな、オレはそう思っていた。できればカラリとした話題などして元気になってほしかったがそういうときの感情の動きは複雑でなんとも予想がつかない。
少しずつオレの中にアルコールが回っていた。店内のBGMはスローなソウル系の曲だった。そこでオレは自分でも信じられないような一言を口にしてしまうのだった。
「踊らないか?」、、、、は?何を言ってしまったんだ、オレは。お・ど・ら・な・い・か?一生のうちこの言葉を口にする男が一体何人いるというのか、、、自分で自分が信じられない。
彼女は答えた。「え?無理です」、笑うしかない、笑うしかないんだよ。いや笑ってくれオレを。あざけり笑ってくれオレを。もう生きてる価値などないんだよ、オレなんか死んだほうがましなんだ。踊らないか?この一言が何度も何度もオレの心の中を駆け巡る。近藤正臣かっつ〜の!かっつ〜の!かっつ〜の!もう書きながら思い出して気が狂いそうだ。誰かオレを慰めてくれ、いやまじで。
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2018年09月04日

匠の音楽バー、パニックパラダイス


なんというかここ最近日本人が乗せられやすい単語のひとつに「匠(たくみ)」というものがある。この一言がついてるだけですごく立派なもののような錯覚に陥ってしまう。いつごろからかいろんな商品、へたしたら金融商品にまで「匠」という単語がはいってくるようになった。やはりオレだけじゃなく相当の数の人間がなんとなく乗せられてしまうのだろう。そのせいでもはや「匠」の乱立なわけである。あっちをみても、こっちをみても「匠」「匠」ア〜ンド「匠」そんな感じすらうけるのである。
たしかに「匠」とうたうからにはそれなりの自信やこだわりをもってメーカーも発売してるのであろうと勝手に消費者が考えてしまう魔法の言葉ではある。しかし本物の「匠」はそれほど自分から「匠」などとは言わないものなのではないだろうか。偏見かもしれないが職人気質の人は無口で不器用そして頑固。ひとつのものを追求していくとどの世界も終わりなどなく自己の未熟さを知るばかりで「匠」的な人ほど「匠」ではないと自分のことを考えてしまうだろう。
だから「匠」という言葉に簡単にだまされないようにオレは生きていこうと思う。

さて長崎が誇る匠の音楽バー、パニックパラダイスではいろんな音楽をかけてみなさまをお待ちしてしているのでよろしくお願いしますね。ではでは。
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2018年08月09日

村上春樹のラヂオ


今までテレビやラジオに出演することがなかった作家の村上春樹氏が自ら選曲、構成、DJを担当するラジオ番組が8月5日にFMで放送された。村上春樹の大ファンとは言えないけど彼の作品はけっこう読んできたし、彼が翻訳をしたチャンドラーやサリンジャーはそれまでのものより読みやすく、なんか文学の核心をついてるような気がした。つまりその作品が持つリズム感をうまく日本語に変換してるとオレは思った。そして彼は昔ジャズ喫茶のオーナーをやっていたという経歴も有名で、まあ言ってみれば音楽フリークなわけだからそんな彼がどういった曲をセレクトするかすごく興味がわいたわけである。

テーマは彼が走るときに聴く音楽。思いのほかジャズは少なくオレが昔聴きなじんだロック&ポップスが中心のセレクトだった。リズムが割と一定で勇気を与えてくれるような音楽が走るときにはいいらしい。さらに自分は文章を書くということを音楽から学び取ったんだとも話していた。オレにはそれがすごくよくわかる。才能は違えどオレも多分そうなんだろうし、人生までも音楽に侵食されてるのに文章が影響受けてないわけがないからだ。

ちなみに村上春樹のデビュー作は「風の歌をきけ」だった。映像であげているサンタナの曲は72年の作品で「風は歌う」という邦題でサンタナのギターの官能的な部分をこれでもかと味わえる作品である。「風の歌をきけ」はまさしくここからのインスパイアじゃないのだろうか。そうじゃないとしても音楽ファンなら彼の作品のいたるところでハッとさせられることになるだろう。タイトルだけでいうと「ノルウェーの森」や「ダンス・ダンス・ダンス」などはもろに音楽作品からの引用にほかならない。

彼のラジオ番組は面白かった。少なくとも毎週やってほしいと思うほどには。しかしなんでまたラジオなんかやろうと思ったのだろう。過ぎ行く時代へのノスタルジーなのだろうか、それともただの気まぐれなのだろうか。猫好きな村上春樹氏のことだからたぶん後者なのだろうな。彼のしゃべりの声や内容がとても60代とは思えないほど若々しかった。オレの周りにいる誰かに似てるんだよな、どうしても思い出せないけど。

それにしてもあつ〜〜〜〜〜い!おととい昼間に扇風機だけで横たわってたら、どっか遠いとこからゴダイゴのビューティフルネームが聞こえてきて意識がすーっと落ちそうになって、ああ老人はこうやって死んでいくのかと実感した。みんなも気をつけてね。今日はあと数時間後に黙祷だ。それじゃバイバイ
posted by オーナーセイジ at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記